ご挨拶

私儀、この度一身上の都合により2月末にてITサポートセンターを退職することになりました。

登録ワーカーさんにつきましては、メールや電話でしか接触できないという在宅就労支援の
性質上、直接会ってお話しさせてもらったのはごく一部の方に限られました。 そんな中でも
業務でのやり取りを重ねる内に少しずつ距離が狭まってきたという実感があっただけに残念
に思います。
今後とも健康、体調に留意され、ご活躍される事を願っています。

 施設の職員の皆様には、いつも無理ばかり言っていたような感があります。しかし価格、納期、
納品場所などでご協力を頂き本当にありがたく思い、感謝しております。また私の知らない様々
な事柄を教えてもらう事が出来、良い経験を積ませてもらいました。

 仕事を発注して頂きました各方面の皆様には、至らない点ばかり多く、特に納期等でご迷惑
をお掛けした事と思います。 これにこりず今後ともITサポートセンンターをよろしくお願い
致します。

 振り返ってみて、当センターの先達が積み重ねてきた実績に私が何を付け加える事ができた
のかと思い巡らせてみると、少し忸怩たるものがあります。

それでも登録ワーカーさんや各方面の方からメール等で心暖まる返信を頂き、私なりに
頑張ってこられたのも皆様の支えによるものだと改めて感じました。これからの私にとって
宝となると思います。

 皆様の今後のご健闘をお祈りし、挨拶とさせて頂きます。
三浦  2016年2月

障害者標記について

事務局の三浦です。

今回は障害者表記についてです。
障害者という表記は、1949年に身体障害者福祉法が制定されてからで、法令ではこの表記で統一
されています。それ以前は不具者等々今日的には非常に差別的な表記が用いられていました。

地方公共団体が「障害者」を「障がい者」と表記するようになったのは2000年(東京都多摩市)から
の事です。「障害」をひらがな表記で「障がい」や「しょうがい」にすることによって、否定的
なマイナスイメージを和らげようとする考えによるものです。これ以降、なにか流行のようにも
なっています(他に「子供」⇔「子ども」もあります)。

問題点は3つあるように思います。
ひとつは、本当に当事者からの多数の意見が尊重されての変更かという疑問です。
乙武さんのような考えの人が多いのではとも思われます。
http://news.livedoor.com/article/detail/8549348/
実際の所、当事者からは他にもっとやらなければならない事が多くあるのでは・・・というのが本音
ではないでしょうか。

 どこからか苦情が来て、露骨な表現を避けて波風を立てずに穏便にことを済まそうとしているのかと
も思われます。また単に表記の問題として言葉を安易に言い換えるのは物事の本質を曖昧にし覆い隠し、
それで何か進展したり解決したとし、1件落着とされかねません。

 他に視覚障害者については、現時点でのスクリーンリーダーや音声ブラウザのソフトとの関連で、「障がい者」は「さしさわりがいしゃ」と音声変換されてしまうため「障害者」と統一されているのがほとんどです。(余談ですが、私の業務の体験でも文書中の「河原町」は「かわらちょう」と音声変換されてしまい、そのまま「かわらまち」として文書の修正をした事がありました。)

 単に表記の問題にとどまらないのは明らかなので、障害者の立場から何が課題となっているのか、
を明らかにしていく必要があると思います。

 次に地方公共団体等が近年おしなべて「障がい者」表記を採用するようになってきています。
理由は「害」の字は、「害悪」「公害」等「負」のイメージが強く、別の言葉で表現すべきとの
意見があり、「害」の字の印象の悪さ、マイナス的なイメージにより、差別感や不快感を持つ方や
障害者団体が少しでもいるのであれば、人権尊重の観点からせめて「障害」を「障がい」とひらがな
表記に改める。というのが大方の地方公共団体等の共通した内容となっています。

 そして表記変更については、「障害」ということばが単語あるいは熟語として用いられ、前後の
文脈から人や人の状況を表す場合はひらがな表記の「障がい者」とし、ただ○○市身体障害者リハビリ
テーションセンター等は、固有名詞の例外扱いとしています(「障がい者」としている所もある)。
概ね右にならえで差異はありません。

 各団体の表記方法については、特段注文をつけるものではありませんし、尊重されるべきとは思いま
す。 しかし行政相互、あるいは他団体間の連携では表記方法で混乱が出てくるのではないでしょうか。
例えば京都在住の人が大阪の行政へ文書を出す場合とか大阪の学校へ文書を出す場合とかはどうでし
ょう。(私の体験でも訂正を要求されました。)
 つまりある団体で表記方法を定めるという事は、反面その団体では他団体・個人へもその表記方法を
強制することになっているのが現状です。 決めた表記方法しか認めないというある種の言葉狩りにな
っており、表記を越えた事態を生んでいます。堺市と大阪市との間ではどうなっているのでしょうね。

 最後にこのことは単に表記の問題にとどまるものでは無く、障害概念、障害者概念に関係せざるを
得ないからです。このことは下記でも述べますが、
「障害者制度改革推進会議」の資料2「障害の表記に関する検討結果について」
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/k_26/pdf/s2.pdf#search=’%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E8%A1%A8%E8%A8%98′
および同じく資料3「障害の表記に関する意見一覧」
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/k_5/pdf/s3.pdf#search=’%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E3%81%AE%E8%A1%A8%E8%A8%98%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%84%8F%E8%A6%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7′
で表記に関する検討であるにもかかわらず、上記の障害概念等に多くの紙数を割いている事からも明らかです。

 語源からは「がい」を障礙、障碍、障害と見ていく事も有用ですが、言葉は本来の意味と、使われてどうかという時代による変遷がつきもので参考程度に留めざるをえません。
 ただ中国、韓国、台湾など漢字圏において、「しょうがい」は「障碍」または「障礙」と表記されているようです(NPO法人芦屋メンタルサポートセンター)。日本では常用漢字による制限があるので同列に考える事はできませんが。
また「障碍」と「障害」を、いずれも「しょうがい」と発音するのは日本に特有で、中国語で前者は「チャンアイ」後者を「チャンハイ」と、朝鮮語ではそれぞれ「チャンエ」、「チャンへ」と、発音上
も区別するようです(ウキペディア)。

 障害概念については上記意見一覧の、尾上委員の意見が参考になると思います。少し長くなりますが、
引用しておきます。
~ 障害者権利条約の批准に際して、求められているのは障害についての医学モデルから社会モデル
への転換であり、そのことをふまえた各種の法改正を行い、制度の谷間なく、必要な人が必要な支援
等を得て、地域での自立した生活を実現できるような社会をつくることである。そうした医学モデル
から社会モデルへの転換ということなく、表記だけを見直すことに積極的な意味を見いだすことはで
きない。権利条約では、「Impairment」は、視覚、聴覚、上下肢等の機能の不全等を意味する機能障
害を表し、「Disabilities」は、社会環境との相互作用において障害者の生活や行動が制限・制約され
る「社会的不利」を意味する。そして、第1条後段で、障害者は、「障害者(Persons with Disabilities)」
と定義され、「Impairment(機能障害)」のある人々は、その中に含まれると規定した。前文(e)にお
いても、同様の考え方を採用している。障害者の社会参加の不利の原因を、個人の機能障害に求める
ものではなく、機能障害と社会との相互の作用によって生じるもの、ということである。一方、個人
の機能障害に社会参加の不利の原因を求める考え方が「障害の医学モデル」である。障害の社会モデ
ルの考え方に立脚し、「障害」の表記の問題を考えた場合、「害」の字を「がい」に変えることは、妥
当であると考えることはできない。社会モデルの見地から考えた場合、「障害者」とは機能障害のある
人の社会参加を妨げる社会の側のさまざまな障壁によって、社会参加上の障害をもたされた者、とも
見ることができる。一方「害という漢字のイメージがよくない。」、「障害者は、社会や人に害悪を与え
る存在ではない。」という考えは、障害者個人に焦点を当てている考え方に立脚しているものであり、
機能障害をもつ人への社会の先入観や偏見を社会の側が取り除くという発想から来ているものとは
考えられない。建物や公共交通機関を利用できない、公衆浴場から入浴拒否されるといった状況は、
障害者の表記を変えれば無くなるものではなく、これらの社会参加の障壁は社会の側にその責任があ
る、ということを明確にしなければ、これらの障壁を無くす事は原理的に不可能である。また、こう
した表現に固守するのであれば「障」の文字を残すことに矛盾も残す。 ~
他には同じく、杉野昭博教授(関西学院大学人間福祉学部)からのヒアリングも引用しておきます。
~ 1)障害学における英米二つの社会モデル
イギリス社会モデルにおける障害の定義は、障害をimpairment とdisability という2つの要素に分
解する二元論であり、impairment(機能障害)を問題化する医学モデル(個人モデル)を批判して、
disability の方を問題化する社会モデルの立場をとっている。これは、機能障害と参加制約の二元論
をとるが、「参加制約」除去を最優先にする立場である。他方で、アメリカの社会モデルは、障害を個
人の属性と環境との相互作用によって発生するものとしてとらえる、いわゆる相互作用モデルであり、
これは障害を一面においては「個性(個別的属性)としての障害」としてとらえるものであるが、
参加制約除去を優先するという意味では、イギリス社会モデルと変わらないといえる。
2)英米障害学における「障害」の表記
イギリス障害学ではdisabled people が用いられており、disablement という名詞もよく用いられる
が、これらは社会制度によって無力化された集団という意味で使われている。アメリカではpersons
with disabilities が用いられているが、これは個別的属性としての障害のある人というような意味で
使われており、障害を否定的なimpairments ではなくて、例えば民族性、出自といった属性と同様
に属性の一つとしてとらえられている。
3)障害者権利条約における「障害」の表記
障害者権利条約は、個人と社会的障壁との相互作用論であるという点、タイトルにpersons with
disabilities と、個人の属性としての障害というのが用いられているという意味では、アメリカ社会
モデルを基本としている。 ~

 2)についてはイギリスでのdisabled peopleとアメリカでのpersons with disabilitiesでは、個人的には若干のニュアンスが異なるようにも思えます。また障害者権利条約は、タイトルにpersons with disabilitiesを使用しているのも気になる所ではあります。ITサポートセンターで使用している名刺にはfor the Disabled(person)となっています。

 しかしいずれにせよ、上記お二人の意見に本質があると思います。
また佐藤委員の意見のように「障害」という言葉が「不具・廃失」などが使われていた時代から身体障害者福祉法で新しい期待を込めて使われたという歴史的な意義を押さえておく必要があると思います。
全会一致で決まりましたといったインパクトの無いひらがな表記とは無関係に日本における障害概念、障害者概念、将来の障害者施策を考慮した新しい語の創造を避ける事はできないと思えます。

※ なおこの稿を考えるにあたって良かったのは中西委員の意見を発見した事でした。
~ むしろ障害者に相対する表現として「健常者」が、障害のない人たちによって無意識に用いられていることを問題とすべきである。この場合、最も受けいられやすいのは「非障害者」という表記であろう。 ~
2014/12/12のブログで「普通の人? 健常者?」を書きましたが、同じような考えを持っている方が居られるのに驚きました(良いかどうかは別ですが)。ただ施設の職員の方が障害者に相対する言い回しで自分たちの事を健常者と言うのはどうかとは思います。

ICFの障害概念の変更などもあり、いろいろ難しい問題がある為、自分の中でも整理しきれていないのが現状で、まとまりのない文章となってしまいました。

士と師の使い分け ~その2~

事務局の三浦です。

 士と師の使い分け、2回目となります。この使い分けが何でそうなんかを歴史的な考察を加えた説得力のあるサイトが見つかりましたので、簡単に抜粋・要約し紹介しておきます。 興味のある方は下記を参照して下さい。ちょっと長いですが面白いです。
日本労働研究雑誌 【特集】「先生」の働き方:はじめに
師業と士業の由来─医師はなぜ医士ではないのか 西澤  弘(労働政策研究・研修機構主任研究員)
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2014/04/pdf/006-009.pdf#search=’%E5%A3%AB%E3%81%A8%E5%B8%AB%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84′

 総務省の日本標準職業分類に設定されている小分類職業では、「〜師」又は「〜士」の表記になっている職業は、建設・測量、保健医療、社会福祉、法務、経営、その他の6つの分野にわたっていますが、長くなりますので保健医療分野に限定して師業と士業の成り立ちを紹介します。

文字学的アプローチからは
 わが国では、奈良・平安時代以降,中国語とやや異なる意味で師を用いてきており 1. 師と為(し)の字が同一であることから、「為(す)ること」(特定の仕事に従事する人)を「師」の字を借用して表記した。土師(はじ、土器・埴輪の製作人),鋳物師(いもじ鋳物職人)、工師(工匠をつかさどる官吏)などがその例である。 師は諸々の工匠(たくみ)の称であり、ものづくりの職業を表すときに用いられた。 2. 技術・技芸の専門家であることを表すときにも師が用いられた。陰陽師(おんみょうじ)、医師(くすし)、薬師(くすし)、経師(きょうじ)、絵師などがこの用法に該当する。
 平安時代から江戸時代までの間に実際に使われた士と師の用例、とりわけ職業名としての使われ方をみると、士の付いた名称は、さむらいの意味での士と男子の通称としての士にほぼ限定される。士が職業の従事者を表す接尾辞として使われるようになったのは明治時代以降のことである。
 一方、師の付いた職業はいずれも上述の師の1と2の意味で使用されている。用例は多いとはいえ、現代的な意味での専門的職業の部類に入るのは、陰陽師、医師、薬師、連歌師、琵琶法師、田楽師、猿楽師などであり、そのうち本稿で扱う分野に該当する職業は医師と薬師だけである。したがって大局的にみれば専門職の職業名の表記に師を使用するようになったのも明治時代以降のことであるといえよう。

歴史的アプローチからは
 「〜師」又は「〜士」の付く職業名は保健医療の分野に21 職業ある。これらの職業はいずれも法的な裏付けにより国が資格の交付にかかわっている国家資格の職業であるという点で共通している。
 この分野では、医師、薬剤師、看護師のように師の付くものと、理学療法士や歯科衛生士のように士の付くものとがある。両者はどのように使い分けられているのだろうか。
まず師の職業からみていく。医師,歯科医師,薬剤師,獣医師の名称が一般に普及したのはいつ頃のことであろうか。その足跡を政府の公的職業分類で確認してみよう。医師の名称は既に明治2(1869)年の駿河国を対象に実施された人口調査の職業分類に使用されている。この分類ではまだ馬医の名称が使われていたが、明治12(1879)年の甲斐国現在人別調の職業分類で初めて獣医の名称が使用された。その後、昭和5(1930)年の国勢調査用職業分類には獣医師の項目が設定されている。歯科医師の名称は明治10(1877)年の日本職業区分稿に登場する。薬剤師の名称が初めて職業分類に現れたのは明治38(1905)年に設定された内閣統計局の職業分類である。このように、これらの職業名は既に明治時代(獣医師のみ昭和初年)に広く使われていたと考えられる。
 次に、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師、柔道整復師の由来をみてみよう。江戸時代に按摩術や鍼灸術を行う者はそれぞれ按摩、鍼灸医と呼ばれていた。明治になると、西洋医学を推進する医制のもとで伝統的な按摩、鍼灸は医制の枠組み外の民間療法として扱われ、明治44(1911)年に免許鑑札の交付による営業許可制になった。更に,大正9(1920)年になると、それまで接骨医以外の者には認められていなかった柔道整復術と、大正時代に西洋から導入されたマッサージがともに営業許可の対象になった。第二次大戦後,開業を規制する鑑札制度は、施術を行う人に対する国家資格の免許に変わった。この点を強調するため昭和22(1947)年のあん摩・はり・きゅう・柔道整復等営業法は、1951 年に、あん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法に改称された。鍼灸師の名称は既に明治38(1905)年の内閣統計局の職業分類に使用されているが、あん摩師は第二次大戦以前の職業分類では按摩(又はあん摩)の表記に止まっている。柔道整復師は、昭和15(1940)年の国勢調査用職業分類に接骨師の名称で項目が設定されている。
 現在の保健師、助産師、看護師のうち、助産師は産婆と呼ばれ,明治以前に既に女性の職業として確立していた。産婆の名称とその資格が公的に定まったのは、明治7(1874)年の医制と明治32(1899)年の産婆規則によってである。看護婦に資格制度が導入されたのは大正4(1915)年の看護婦規則による。保健婦は昭和12(1937)年の保健所法で名称が確立し、昭和16(1941)年の保健婦規則によって資格が規定された。これら3つの職業は大枠で看護分野の職業に該当することから、第二次大戦後、ひとつの法律(昭和23(1948)年保健婦助産婦看護婦法)のもとに業務や資格が定められた。
これらの職業には,①医療分野の技術的な職業であること、②第二次大戦前に既に職業として成立していたこと、の2つの共通点がある。これが職業名に師を付ける基準になっていると考えられる。

 士の付く職業は医療技術の職業(医師・歯科医師の指示のもとに業務を遂行する職業)にみられるが、この分野には師の付く職業もある。このため師と士の使い分けのルールがわかりにくくなっている。とりわけ紛らわしいのは「ぎし」の名称である。診療放射線技師と臨床検査技師には「技師」が、臨床工学技士には「技士」がそれぞれ使われている。技師と技士の使い分けは職業の性質ではなく、当該職業の成立時期に関係しているとみられる。人体のレントゲン撮影の業務と医療分野における検体検査業務は、既に第二次大戦前に職業として認知されており、そのことが1951 年の診療放射線技師法と1958 年の衛生検査技師法で技師の名称を使用する根拠になっていると考えられる。他方、臨床工学技士は技術的な職業であるが、職業として成立したのは1987 年の臨床工学技士法によってである。歯科技工士は、明らかに技術的な職業である。歯科技工士法が成立したのは第二次大戦後の1955 年であるが、昭和15(1940)年の国勢調査用職業分類には既に歯科技工の項目が設定されており、歯科技工の業務が第二次大戦前に職業として成立していたことを示している。つまり,歯科技工士は師の名称に関する上述の基準を満たしているにもかかわらず、接尾辞には「師」ではなく「士」が使われている。この点は究明する必要があるが、第二次大戦後に生まれた職業には、当該職業の性質を問わず「士」を共通の接尾辞として使用することがルールになっているとみられる。

結論
 保健医療おける師又は士の付く職業についてまとめると次のようになる。 1. 師又は士の付く職業は、法律で業務や試験内容等が規定された国家資格の職業である。 2. 師の付く職業は技術を有する専門家であることを表しており、接尾辞としての師は奈良・平安時代から使用されてきた歴史的な職業名表記である。現在では,保健医療の分野における技術的な職業であること、かつ第二次大戦前に既に職業として成立している(又は認知されている)ことの2点が師の付く職業の共通項になっている。 3. 士は明治時代になって西洋の制度を導入するようになってから使われ始めた職業名表記である。当初は技術的な職業以外に用いられていたが、その後、職業の性質及びその成立時期を問わず、専門的な性質の職業を表す共通の接尾辞として使用されている。師と士は、ジェンダーフリーの観点から職業名を設定する場合の接尾辞としても使用されている。

 抜粋・要約と言っておきながらまとめきれず、とんでもない長文になってしまいました。師・士については第二次大戦前に既に職業として成立している(又は認知されている)ことがメルクマールとなりそうです(歯科技工士の例外もありますが)。 その他法務、経営の分野もあります。士と人となぜ違うのか(弁護士、公証人)など興味を持たれた方は是非、標記のサイトを訪れて下さい。

明日香村

事務局の三浦です。

明けましておめでとうございます。今年は気温も高く、雨にもならずに良いお正月ではなかったでしょうか。
 私はと言えば、自宅近くの宝積寺と八幡宮へのお参りでここ数年代り映えしません。
いつもながら季節はずれのブログですが、昨年十月の日曜日に明日香村の飛鳥座神社、飛鳥寺、石舞台を散策してきました。
 親戚が来たこともあり、四人で車を飛ばしました。十月とはいえ九月ころのぽかぽか陽気で絶好の条件でした。また観光地化されつつあるとはいえまだまだ京都の観光地と比べて長閑な田園風景も楽しむことが出来ました。(前任の方も行かれたようです。)

 飛鳥座神社は民俗学者、折口信夫との関係がよく持ち出されます。その祖父が、81代宮司の養子となった上で折口家に入っています。その後交流は途絶えていた所、明治33(1900)年一人で初めて飛鳥座神社に参詣し、同37年には祖母つた・叔母えいと共に参詣し旧交を復しました。大正17(1928)年に慶應義塾の文学部教授になったあともよく学生と飛鳥を旅していたとの事です。
当神社は村社であり鳥居、神楽殿、井戸、むすびの神石がある程度で、さほど境内も広くなく、ほとんど参拝者(観光客?)もいない静かな中ゆっくり散策できました。ゆったりとした時間の流れは京都とは一味違った感覚となります。また写真のように十月桜も花を咲かせていました。

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飛鳥寺は蘇我氏の氏寺として6世紀末から7世紀初頭にかけて造営されたもので、明日香村豊浦の豊浦寺と並び日本最古の本格的仏教寺院ということです。
伽藍は、塔(五重塔)を中心とし、その北に中金堂、塔の東西に東金堂・西金堂が建ち、1塔3金堂式伽藍で、これらの1塔3金堂を回廊が囲み回廊の南正面に中門があったそうです。今では復元図からしか判りませんがその壮大な規模を想像するのも夢を追うひとつの楽しみです。
 飛鳥寺大仏の完成は、『日本書紀』によれば606年、『元興寺縁起』によれば609年ですが、後者の609年完成説が定説らしいです。いずれにせよ日本最古となります。東大寺の大仏が部分的に何度も作り直されていて、建立当初のものはほとんど残っていないのに比べ、こちらは補修とされる部分もあるにせよ大部分が造立当初のものである可能性が高いという調査結果もあります。
 面白いのは大仏の表情で、顔が真正面でなく少し右を見ており、右半分が柔和な顔立ちで、それに比べて左半分は厳しい顔立ちとなっています(ガイドさんの説明がないと見過ごしてしまう所です・・・でも指摘されても、どうでしょう。そう言われるとそんな気もする程度ですかね)。写真を載せておきますので見ておいて下さい。

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「士と師」の使い分け ~その1~

事務局の三浦です。このブログも随分ご無沙汰しています。
今回は気楽なところで「士と師の使い分け」(司もありますが)を調べてみました。
これについて皆さん何か疑問をもたれた事はありませんか。一体どんな法則というか理屈で振り分けられているのか。
私も以前から何故なのだろうと時々は思ったことがあります。師は何かこう特別の技術を持った人で、士は口で仕事をする(怒られるかな)とほとんど理屈にならない考えを漠然と持っていました。

同じ様な疑問を持つ人は大勢いると思え、検索サイトをみるとけっこう沢山出てきました。
しかしその多くは例外まで含めてその説明では無理では? ともうひとつ説得力のないのがほとんどでした。
その1ではいろいろな考えをいくつか紹介しておきます(引用は『』で示していますが、省略・要約はあります)。

まずは教育出版・中学校 国語ではそれぞれの漢字のもつ意味の異同から入り、『「士」は「成年の男子」「役人」の意味で、転じて「学問や教養のある人」「事を処理する能力のある人」「さむらい」をいい、称号や職業名につけたことから国家試験等によって取得する次のような資格の名称にも用いるとしている。「栄養士・海技士・・・ボイラー技士・理学療法士」etc.
一方「師」は「多くの人々」「いくさ」の意味があり、「師団」「出師」などの語に用いられている。また転じて「教え導くもの」をいうようになり技術者や専門家を示す。このような用い方から「師」は次のように一定の職業に就く資格の名称に用いられる。「医師・灸師・・・・理容師・臨床検査技師」etc.
「司」は字訓の「つかさ」「つかさどる」が「役所」や「公の仕事を取り扱う人」を意味し、この用い方の延長の職名として「児童福祉司・身体障害者福祉司・知的障害者福祉司・保護司」etc.などがある。』としています。

文化庁「言葉に関する問答集」~「看護士」か「看護師」か では次のように説明しています。
『従来,女性の場合を「看護婦」,男性の場合を「看護士」と呼び分けていましたが,法律の改正によって2002年3月から男女の区別なしに「看護師」と呼び,そのように表記するように制度上変更になりました。この法律改正によって「保健婦」「助産婦」もそれぞれ「保健師」「助産師」に改められました。
一方,資格として「保育士」「栄養士」は,もともと男女の使い分けによるものではなかったので,それぞれ「士」が資格や職種として使われているとのことです。監督官庁が異なり,それぞれの経緯があるので「師」と「士」が混在しているのが現状です。
以上のように,漢字本来の意味から,男性についていう「士」や集団のリーダーをあらわす「師」を使い分けている場合と,結果的にそうでない場合が生じるのです。』
もちろんその通りだと思います。名称は法律で定められ、主務官庁が決めており文化庁は言葉の動静を調べるだけで関知はしません。上記の教育出版・中学校 国語もそうですが語源からの説明では無理があるようです。 ちなみにこの問答集での「看護師」では1993年の法律改正により、1994年の国家試験で男性看護士が誕生し、女性の場合を「看護婦」、男性の場合を「看護士」と呼び登録簿も分けていました。次の法律改正で2002年3月から男女の区別なしに一律に「看護師」と変更になりました。ただ助産師については法律で「・・・を行うことを業とする女子をいう。」とあり、助産婦→助産師の名称変更だけで資格を取得できるのが女性に限定されています。

素朴な疑問集の投稿ではこう言っています。
『・「師」は社会状況がどうなってもとりあえず食べていけそうな「手に職」系の職業が多い。
・「士(さむらい)」は、国のお墨付きによって成り立ち、絶対その人がいないと成り立たないというわけでもない、そんな職業が多い。

・「士」の仕事は、能力があれば自分でやり、能力が無い場合に「士」に頼む。
・「師」の仕事は、資格を持っている人にしか能力がないから「師」に頼むということ。

・「師」とつく職業は 免許が必要なもの
・「士」とつく職業は 資格が必要なもの
そうではない例として歯科技工士は、医師等と同じ大臣免許の必要な職業。

・師→業務独占
・士→名称独占
そうではない例として臨床工学技士という職業は、業務独占で、医療技術職でも、必ずしもその違いは成立しない。』

奥深き日本語の世界~「師」と「士」では 『原則:実際の名称に従う。(←全くその通りです。)
「師」は、技術・技芸などの語に付いてその専門家であることや、それを教授する先生や師匠であることを表し、「士」は、本来男性・男子の意で、特に学問・道徳・資格・技術を身につけた人物であること
を表す。』とし『しかしその他実例を見ればそうとも限らないことは一目瞭然です。』と付け加えています。

 ここまでではよくわからないですね。語源からの説明ではそういうことなんでしょうが、実際では
例外が多く、統一的に納得できる説明はみつかりません。 そんな中で今回調べた所まあまあ納得のいくサイトを見つけましたので、次回では紹介したいと思います。

2015年が始まりました。

事務局 三浦です。

2015年が始まりました。
といっても早いものでもう月も半ばとなりました。
今年の京都は久方ぶりの大雪となりましたが皆さんはいかがお過ごしでしたか。
私はといえば、新年だからといって1年を振り返ったり、今年度に向けてとか改まった事を考えたりする習慣もなく、例年の如くずるずると年をまたいでいっているといったところです。
というわけで、今回はちょっと宣伝という事で、昨年末の演奏会のお話となります。

私の入れてもらっている吹奏楽団は昨年で創団20周年となり一応の記念演奏会となりました。
一応というのは毎年とそんなにステージ構成は変わらず、変わった所といえば、退団されたメンバーの方に声をかけて、何名かに参加してもらった事くらいです。
また今回は会場の都合がつかなくて例年11月に開催していた日程が12月23日とクリスマス前の慌ただしい日になってしまいました。それでも沢山の観客にご来場いただき、有難く思いました。

こういった市民バンドは学生もいますがなんといっても社会人が中心で、仕事、家庭の都合をつけつつ(犠牲を強いつつ?)活動を継続していっています。結婚や就職・転勤でメンバーが入れ替わるなか、一口に20年と言ってもこれは大変な事だとつくづく思いました。

それにこの世界は大変狭いもので、昨年2回研修に行ったなかで、2回とも吹奏楽をやっていた(今もやっている)という方と巡り合いました。またかなり前の研修会で「ベアーズのフルートの方ですね」と言われ「え??? なんで?」と慌てて、よく思い出すと依頼演奏で一緒だった方だったりして。といろいろあります。 写真を載せておきますので当日の雰囲気を想像して下さい。本年度は早い目にアナウンスしますので、興味のある方は是非聴きに来て下さい。

「普通の人? 健常者?」

事務局 三浦です。

 障害者に対してそうでない人を対比して何か言わなければならないケースに遭遇することがありませんか。その時「そうでない人」をどう言っているでしょうか?

 よくあるのが「健常者」という言い方で、方々で見かけたり聞いたりします。ここを「普通の人」と言ったりすると、途端にクレームがつくでしょう。 ~障害者は普通の人ではないのかと。
辞書的に、あるいは一般的に健常者という言葉は障害者の対義語と考えられており、ある意味この健常者との言い方はまちがっているとも言えないのかもわかりません。でも私は何故かすっきりせず、ずっと前から引っかかっていました。

 ウィキペディアなんかではこう書いてあります。「健常者(けんじょうしゃ、able-bodied person)とは、障害者・病者に対していわれる表現で、特定の慢性疾患を抱えておらず、日常生活行動にも支障のない人をいう。・・・」また「これは「normal person」という意味ではなく、あくまで「able-bodied」という意味である。「普通」というのは、障害や疾患がないということではない。障害者でなくても、その大多数が大なり小なり、疾患や外的、内的な障害と共存しているのが実態であり、健常者とは、たまたま現在、障害や疾患で、その日常生活の中でのさまざまな活動や行動に支障を抱えていない「一時的健常者」という意味である。」と。 一時的健常者という言い回しは面白いですね。

 またWHO憲章前文では「健康」について、次のように定義しています。1948年の事です。
『健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。』(日本WHO協会訳)
その後1999年に『健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。』との定義を総会提案とすることが執行理事会では採択されています(ただWHOとしては1948年定義を維持しているとの事です)。どういったいきさつかはわかりませんが、ここではspiritual(訳では霊的)とdynamic(同じく 動的)という語が付加されています。spiritualに霊的という訳語をあてはめるのが適切かどうかは置くとして、mentalとspiritualが問題となり、そして疾病と健康の状態を固定的に見ていないという事が重要だと見て取れと思います。

 そこで健常者という語を使う場合、自分が心身ともに常に健やかなのかと問いかけてみると、どうでしょう。事情が変わってきます。今という時代は疾病とは認められないけれど心が病んでいる人があまりにも多いのではと。そして一方、障害があってもずっと健やかに生きている人たちがいることを。

 ということで私は前述のような場合、障害者に対比しては単純に非障害者という言い方を用いる事にしています。レトリックかも知れませんし、まだ引っかかりはありますが・・・・

行ってきました。~ 東福寺、銀閣寺、方広寺 その3

ITサポートサンター 三浦です。

 視覚障害者ということで点字ブロックのお話です。
町や駅で良く見かける点字ブロック(正式名称は視覚障害者誘導用ブロック)は日本で考え出されたものだというのはあまり知られていません。1967年3月に岡山県立岡山盲学校近くの横断歩道口に、世界で初めて点字ブロックが設置されたそうです。

しかしその形状・色については現在のところ統一されておらず、その種類は50種類以上だと言われています。色についてはJIS T 9251によれば「視覚障害者誘導用ブロック等の色は、黄色を原則とするが、弱視者が認知しやすいよう、敷地内の通路の床仕上げ材料と視覚障害者誘導用ブロック等の明度、色相、彩度、輝度比に配慮したものが望ましい。」となっています。
そして私たちがよく見かける色はもちろん黄色ですが、これにより弱視の方は色を頼りに歩行方向を定めて行動していることになります。よくJRのホームでは「・・・黄色い点字ブロックの内側でお待ち下さい。」とアナウンスされています。

しかしよく街中や地下街を見ていると黄色もいろいろあって、黄色ではあるが明度や輝度不足でこれでは暖色系タイルと識別がつかないのではといった様なケースや、景観に配慮(?)し舗装道路と同じ色の点字ブロックもあります。テルサもそうです。 どうも弱視者対応というのはどこかへいってしまっているような感があります。

最近盲導犬が怪我を負わされたという事件がありました。怒りよりも淋しさが先に立ちます。日本人ってこんなんだったのかなと淋しくなりますね。

 ~ 長く引っ張りましたが 完 ~

行ってきました。~ 東福寺、銀閣寺、方広寺 その2

ITサポートサンター 三浦です。

 実は謀同窓会への参加の目的は別にありました。視覚障害をお持ちの参加者の案内を頼まれた事です。なので京都に住んでいながら京都の旅館に泊まるという法事以来の事となりました。ガイドヘルパーも現在は色々あって、全身性障害者、知的障害者、精神障害者の各移動支援従業者と同行援護従業者(昔の視覚障害者ガイドヘルパー)があります。

 視覚障害をお持ちの方の路上歩行のスキルについては、白杖で一人歩きの可能な方から実に様々です。ただ視覚からの情報がない分それを補うべく同行援護従業者は話し続けていなくてはならないという事が必要となります。またスーパーの店先の喧騒、パン屋・ケーキ屋の匂いも重要な情報として動いておられるのも実際です。

 ちなみにエレベータに押しボタンSWが上下に二組あり、下側は車椅子をお使いの方等向けというのはよく知られている所です。しかし下側のスイッチを押した時はエレベータ・メーカーによっていろんなサービス機能があるというのはあまり知られていません。開いている時間が長くなる、閉まる速度が遅くなる、昇降速度がゆっくりとなる。またエレベータ内の専用操作盤(床上1000mmの位置)で行き先階を指定すると外部からのコールとは関係なく優先的に移動できる・・・等々。でもこれはメーカー仕様での機能なので私たちが全部を体験できる訳ではありません。一度試して下さい。開時間ひとつとっても長いと実感できるエレベータとそれほどとも思うエレベータがあるのが実際です。
 ということで、ぶっつけ本番でしたが、大きなトラブルもなく終えられたのでほっと一安心という所でした。
~ 続く ~

行ってきました。~ 東福寺、銀閣寺、方広寺

サポートセンター 三浦です。

台風11号では方々で被害が出たようです。嵐山界隈も一部道路が冠水し危ない所だったようです。みなさんのお住まいの地域はどうでしたか。

ここでちょっと(かなりです)前になりますが、泊付きの謀同窓会に参加させてもらい新緑の5月に駆け足参観してきました。この暑い最中に季節はずれの5月の話です。

東福寺はよく知られているようにその寺名は奈良の東大寺、興福寺のふたつの寺から一字ずつ取って「東福寺」とされています。開山は九条道家で完成は建長7年(1255年)。高さ5丈(約15メートル)の釈迦像も二度の火災で焼失し、現在は「仏手」と呼ばれる2メートルもある左手部分が保管されているのみです。それにしても木造りで15メートルとは構想も壮大で制作も大変だったでしょう。また方丈を取り囲む八相の庭も有名で近代そのものの趣(昭和の作庭)は建物との対比がとてもおもしろく感じられます。 雨に洗われた木々や苔の緑の鮮やかさは人出の多い紅葉の季節ばかりが東福寺ではないなとの感を持ちました。

 銀閣寺は相国寺の境外塔頭です。山外塔頭ともよばれます。禅宗のお寺は広い境内に多数の塔頭を揃え一つの寺を構成するようになりました。銀閣寺は東山殿と呼ばれる義政の別荘をその死後寺に改め、慈照寺として相国寺の末寺となった関係から遠く離れた所にあります。金閣寺、真如寺も同様です。義政は義尚に将軍職を譲り、すでに政治に執着はなかったようで俗世をはなれ書画や茶の湯に親しむ生活を送り、8年かかった造営の開始の翌年である1483年にはここに移り住んでいました。
折り悪く小雨が降り始めましたが、晴天よりもしっとりした雨の風情の方が山水を愛でるこの寺によく似合うと思いました。
なお金閣寺になぞらえ銀箔が貼られていたのではないかとの見解もありましたが、銀箔の跡はまったくなく漆の跡があったとの分析はごく最近の事ではなかったかと記憶しています。

平安神宮への予定を急きょ変更し、方広寺へ向かいました。建立されたのは、1586年。東福寺をしのぐ約19mの木造大仏があったそうです。しかし10年後くらいに大地震で大破し倒壊してしまいました。 しかしもっぱら観光の対象は豊臣家討伐に利用された例の梵鐘で、現在ではこの梵鐘のみが方広寺の観光の目玉となっているような感もあります。因みにネットから引用してみますと ~ 幕府の儒官である林羅山は、「君臣豊楽、子孫殷昌」を「豊臣を君とし、子孫の殷昌(繁栄)を楽しむ」と読み、「右僕射源朝臣(うぼくしゃみなもとのあそん)家康公」を「源朝臣家康公を射る」と読み、家康を呪っている碑文であるとした。~とあります。他にも「国家安康」という句もあります。 無理を通そうとする権力者とそれに無理な理論を貼り付ける学者(有識者)という構造はいつの世でも変わらないなあ思った所です。 という事で方広寺さんに責任があるわけではないのですが、面白いような面白くないような観光でした。
~ 続く ~