2015年が始まりました。

事務局 三浦です。

2015年が始まりました。
といっても早いものでもう月も半ばとなりました。
今年の京都は久方ぶりの大雪となりましたが皆さんはいかがお過ごしでしたか。
私はといえば、新年だからといって1年を振り返ったり、今年度に向けてとか改まった事を考えたりする習慣もなく、例年の如くずるずると年をまたいでいっているといったところです。
というわけで、今回はちょっと宣伝という事で、昨年末の演奏会のお話となります。

私の入れてもらっている吹奏楽団は昨年で創団20周年となり一応の記念演奏会となりました。
一応というのは毎年とそんなにステージ構成は変わらず、変わった所といえば、退団されたメンバーの方に声をかけて、何名かに参加してもらった事くらいです。
また今回は会場の都合がつかなくて例年11月に開催していた日程が12月23日とクリスマス前の慌ただしい日になってしまいました。それでも沢山の観客にご来場いただき、有難く思いました。

こういった市民バンドは学生もいますがなんといっても社会人が中心で、仕事、家庭の都合をつけつつ(犠牲を強いつつ?)活動を継続していっています。結婚や就職・転勤でメンバーが入れ替わるなか、一口に20年と言ってもこれは大変な事だとつくづく思いました。

それにこの世界は大変狭いもので、昨年2回研修に行ったなかで、2回とも吹奏楽をやっていた(今もやっている)という方と巡り合いました。またかなり前の研修会で「ベアーズのフルートの方ですね」と言われ「え??? なんで?」と慌てて、よく思い出すと依頼演奏で一緒だった方だったりして。といろいろあります。 写真を載せておきますので当日の雰囲気を想像して下さい。本年度は早い目にアナウンスしますので、興味のある方は是非聴きに来て下さい。

「普通の人? 健常者?」

事務局 三浦です。

 障害者に対してそうでない人を対比して何か言わなければならないケースに遭遇することがありませんか。その時「そうでない人」をどう言っているでしょうか?

 よくあるのが「健常者」という言い方で、方々で見かけたり聞いたりします。ここを「普通の人」と言ったりすると、途端にクレームがつくでしょう。 ~障害者は普通の人ではないのかと。
辞書的に、あるいは一般的に健常者という言葉は障害者の対義語と考えられており、ある意味この健常者との言い方はまちがっているとも言えないのかもわかりません。でも私は何故かすっきりせず、ずっと前から引っかかっていました。

 ウィキペディアなんかではこう書いてあります。「健常者(けんじょうしゃ、able-bodied person)とは、障害者・病者に対していわれる表現で、特定の慢性疾患を抱えておらず、日常生活行動にも支障のない人をいう。・・・」また「これは「normal person」という意味ではなく、あくまで「able-bodied」という意味である。「普通」というのは、障害や疾患がないということではない。障害者でなくても、その大多数が大なり小なり、疾患や外的、内的な障害と共存しているのが実態であり、健常者とは、たまたま現在、障害や疾患で、その日常生活の中でのさまざまな活動や行動に支障を抱えていない「一時的健常者」という意味である。」と。 一時的健常者という言い回しは面白いですね。

 またWHO憲章前文では「健康」について、次のように定義しています。1948年の事です。
『健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。』(日本WHO協会訳)
その後1999年に『健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。』との定義を総会提案とすることが執行理事会では採択されています(ただWHOとしては1948年定義を維持しているとの事です)。どういったいきさつかはわかりませんが、ここではspiritual(訳では霊的)とdynamic(同じく 動的)という語が付加されています。spiritualに霊的という訳語をあてはめるのが適切かどうかは置くとして、mentalとspiritualが問題となり、そして疾病と健康の状態を固定的に見ていないという事が重要だと見て取れと思います。

 そこで健常者という語を使う場合、自分が心身ともに常に健やかなのかと問いかけてみると、どうでしょう。事情が変わってきます。今という時代は疾病とは認められないけれど心が病んでいる人があまりにも多いのではと。そして一方、障害があってもずっと健やかに生きている人たちがいることを。

 ということで私は前述のような場合、障害者に対比しては単純に非障害者という言い方を用いる事にしています。レトリックかも知れませんし、まだ引っかかりはありますが・・・・

行ってきました。~ 東福寺、銀閣寺、方広寺 その3

ITサポートサンター 三浦です。

 視覚障害者ということで点字ブロックのお話です。
町や駅で良く見かける点字ブロック(正式名称は視覚障害者誘導用ブロック)は日本で考え出されたものだというのはあまり知られていません。1967年3月に岡山県立岡山盲学校近くの横断歩道口に、世界で初めて点字ブロックが設置されたそうです。

しかしその形状・色については現在のところ統一されておらず、その種類は50種類以上だと言われています。色についてはJIS T 9251によれば「視覚障害者誘導用ブロック等の色は、黄色を原則とするが、弱視者が認知しやすいよう、敷地内の通路の床仕上げ材料と視覚障害者誘導用ブロック等の明度、色相、彩度、輝度比に配慮したものが望ましい。」となっています。
そして私たちがよく見かける色はもちろん黄色ですが、これにより弱視の方は色を頼りに歩行方向を定めて行動していることになります。よくJRのホームでは「・・・黄色い点字ブロックの内側でお待ち下さい。」とアナウンスされています。

しかしよく街中や地下街を見ていると黄色もいろいろあって、黄色ではあるが明度や輝度不足でこれでは暖色系タイルと識別がつかないのではといった様なケースや、景観に配慮(?)し舗装道路と同じ色の点字ブロックもあります。テルサもそうです。 どうも弱視者対応というのはどこかへいってしまっているような感があります。

最近盲導犬が怪我を負わされたという事件がありました。怒りよりも淋しさが先に立ちます。日本人ってこんなんだったのかなと淋しくなりますね。

 ~ 長く引っ張りましたが 完 ~

行ってきました。~ 東福寺、銀閣寺、方広寺 その2

ITサポートサンター 三浦です。

 実は謀同窓会への参加の目的は別にありました。視覚障害をお持ちの参加者の案内を頼まれた事です。なので京都に住んでいながら京都の旅館に泊まるという法事以来の事となりました。ガイドヘルパーも現在は色々あって、全身性障害者、知的障害者、精神障害者の各移動支援従業者と同行援護従業者(昔の視覚障害者ガイドヘルパー)があります。

 視覚障害をお持ちの方の路上歩行のスキルについては、白杖で一人歩きの可能な方から実に様々です。ただ視覚からの情報がない分それを補うべく同行援護従業者は話し続けていなくてはならないという事が必要となります。またスーパーの店先の喧騒、パン屋・ケーキ屋の匂いも重要な情報として動いておられるのも実際です。

 ちなみにエレベータに押しボタンSWが上下に二組あり、下側は車椅子をお使いの方等向けというのはよく知られている所です。しかし下側のスイッチを押した時はエレベータ・メーカーによっていろんなサービス機能があるというのはあまり知られていません。開いている時間が長くなる、閉まる速度が遅くなる、昇降速度がゆっくりとなる。またエレベータ内の専用操作盤(床上1000mmの位置)で行き先階を指定すると外部からのコールとは関係なく優先的に移動できる・・・等々。でもこれはメーカー仕様での機能なので私たちが全部を体験できる訳ではありません。一度試して下さい。開時間ひとつとっても長いと実感できるエレベータとそれほどとも思うエレベータがあるのが実際です。
 ということで、ぶっつけ本番でしたが、大きなトラブルもなく終えられたのでほっと一安心という所でした。
~ 続く ~